アロハ! 明けましておめでとうございます。ハワイの夫婦「おひさまファームズ」代表のヒデキこと山根英樹です。今年もよろしくお願いします。前半は私の記事、後半は妻ユキの記事になります。
海外暮らしが長くなると、必ず直面するのが老後をどこで暮らすか、ということです。先日、1918年から106年間もの間、ハワイで続く木曜午餐会というハワイ在住日本人が集まる講演会が高知城を模したマキキ聖城キリスト教会で行われました。その中で私は自著『漂流アロハ〜ハワイに暮らした幕末漂流民の物語』の紹介をいたしました。
自著『漂流アロハ』についての講演をする著者
集まったのはハワイ暮らしが10年から50年以上にもなる日本人シニアの方々。既に日本に家族がおらず、友人も少なくなったという方々は日本に帰る理由が無いとおっしゃる方もいます。子供や孫もハワイやアメリカで生まれ育ち、2世、3世となり日本語よりも英語の方が得意で、日本文化よりもアメリカ文化が心地よい世代となります。
四半世紀近くを海外で過ごしている自分は最近では日本に帰る、というよりも日本に行く、と感じるようになってきました。しかし幼い頃に体験した日本というのは心身に染み渡っていて、五感で感じる日本の景色、食べ物、音楽、映像など忘れられない思い出がたくさんあります。
同著は英語にも翻訳されてAmazonにて販売中
私の著書『漂流アロハ』は土佐から出漁して漂流し、救出されてからハワイに9年間暮らした幕末漂流民の史実に基づいた物語です。彼らは私たちのように自ら選んで外国に住んだわけではありませんが、その地に永住するのか、それとも祖国に戻るのかという狭間で、さまざまな心の葛藤があったであろうことは火を見るよりも明らかです。
その心の葛藤は新一世と呼ばれる私たちにも通じる部分があると思います。老後は憧れのハワイで、という方もいると思いますが昨今の外国における物価高騰の中、ハワイも例外では無く永久帰国される方が多いのも事実です。
史実を元にした私の著書の主人公である五右衛門はハワイ人妻を残して、生き別れた母に会いたい一心で鎖国をしていた日本に帰国します。また重助という人物はここハワイにおいて日本に戻るという夢半ばで病に倒れ埋葬されました。私はハワイに暮らした幕末漂流民の御子孫に高知県で偶然お会いすることが出来て、このような悲話を聞きました。ジョン万次郎の栄光の影にこのようなことがあったこと人々に知ってもらいたいと思いました。
そんな歴史に翻弄され心身ともに漂流した漂流民の気持ちは、外国を問わず、日本国内でも故郷を離れ遠くに住む私たち全ての人々の気持ちにも通じるものがあるのかも知れません。
Honoluluから車で30分、Kaneoheという街にある重助の墓石
次号に続きます……ここからは妻ユキの記事をお楽しみ下さい。
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夫ヒデキに引き続き、おひさまファームズのユキです。今年も相変わらず宇宙の神秘を読む夢想家として、長年耕してきた神秘畑のお話を年初からさせていただこうと思います。今回はいつもより少し長いですが、個人的にはとても大切な内容です。ただ前提として、それぞれの詳細を記せば膨大な書物量になる内容を凝縮していること、そして明記できない部分が多いことをご留意下さい。では、「新年の特別編」としてご覧頂ければと思います。
私は今年の幕開けを、自然な流れとして受け止めてはいません。ただし、作為的であるかどうかのお話は私の中では20年以上前に終了しており、私の気持ちはマウイ島の火災にまつわる過去の三つの記事(vol.8、vol.9、vol.10)に重なっています。何よりも、苦境にある方々が一刻も早く癒されることを祈ります。
前回の記事(vol.12)でも少し触れましたが、今年はこちらアメリカを筆頭に世界中で何が起こってもおかしくない時期です。日本でも、日本滅亡に関して気になっている人が増えていると耳にします。しかし日本は滅亡しません。ただし滅亡させることならできます。その方法を知る勢力によって実現してしまいそうな形を、私は意図せず10年前に受け取ってしまった状態にあります。と言っても人間からではありませんので、ここから先は神意や守護の存在を信じている方だけの世界です。私が「神様のご伝言」と呼ぶ詩文のお話であり、予言の類としては扱っていません。信じる信じないではなく、希望の物語として伝えます。
あれは2014年のことです。2012年辰年と2013年巳年の絵画制作を含む神事にまつわるお仕事の流れで、私はA4用紙に数十枚の「詩文」を巫として受信し、審神者として解読しました。この一人二役は、私の超自然感覚として創作活動内に位置する基軸作業です。詩文では様々な内容が語られ、その最後部分は「(人類への慈しみを伴う)終末預言」の様相を呈していました(ただし、詩文はそれを「始まり」とも表現しています)。一部の関係者にはコピーを渡し、その後も数年に渡り補足的な受信等ありつつも、私は一度完成させて公に出したものはあえて見返さないようにしているのもあり、近年は顕在意識に上ることはほぼありませんでした。
しかし昨年10月、詩文中のキーワードが中東で動いたのが理由だと思いますが、「時の知らせ」を感じさせる最も大きな言霊が再度伝えられたため、その内容を久々に思い起こしていたのです。特には詩文に現れたことで当時初めて知った謎深い神社について、ふと自身の産土神社から興味深い事柄が紐解かれたため、故郷との関連などを年末にかけて調べていました。奇しくもその故郷が揺れ動き、年始に姿を変えてしまった。それがこの記事を書くことを、覚悟も決意もさせました。2014年の詩文ではいくつかのフェーズが語られており、現在は2020年以降の最重要期に入っているためでもあります。
では、本題をあえて唐突に書きます。一部ですが大切な部分をピンポイントで、記せる範囲でぼかします。それは、「聖徳太子的なアレ」です。「何条とかあるアレ」。数字的なものも多少ありますが、重要なのは内容よりも「そこが動くなら目印」だと。それと前後して、容易く触れることのできない日本の核心に動きが出ると。そこが「最後の砦」。なぜなら今も昔もジパングは、支配欲が目指す「黄金郷」であり、手に入れるべき「黄金の指輪」。渡来人のDNAにも刻まれた「約束の地」であり、最果ては「逃亡地」ゆえの「中心地」。それは神話時代にも遡る指輪奪取計画が、遂に最終章の意。更に俯瞰するなら、もう何度目かの疑似「失楽園」。しかし、もしチェックメイトとなるなら、とんでもないことが起こると詩文は言及しています。それは地球全体のお話ですが、悪意によるものではありません。
ここまでにしておきます。悪の対極もまた悪であるなどの込み入った事情ゆえ、白黒逆転して見える構造がいくつもあるため、詳細は無駄に誤解を生むので記しません。そして今回は、正式に神事のお仕事で受け取っている詩文のお話ですので「夢想家の戯言だけどね!」とは言いません。私にとっては自身の創作全てが、この詩文的な基軸作業の末の発露です。それゆえ「巫的創作家」と名乗りもしますが、それは不可視の守護者たちへの感謝と礼節の表明でもあります。そしてその守護者を疎む流れこそ、チェックメイトへの旗手であり、荒野でキリストを誘惑した存在の同義です。
しかし、旗手を最終章まで進ませたのは、使い古された罠に掛かり続けた民衆です。まずはそこを認めなければ、罠の究極的な顛末でもある、魂の自滅か悪霊化の二択になりかねません。異端、魔女狩り、非国民、云々論者、反云々。時代で呼び名は違いますが、目的は同じです。邪魔な思想に侮蔑のレッテルを貼り、洗脳済みの多勢に叩かせる。その多勢を慈しんだ少数派を潰すために。こうして人々は最も愚かな方法で憎しみ合わされ、膨大なカルマと犠牲を生むだけの「共倒れの悲劇」を、何世紀もの間「不幸の輪廻」として与えられ続けています。その根本的な理由の一つが「嫉妬」であったことだけ、ここでは記しておきます。
「目覚め」や「覚醒」とは、この現実に気づくこと。それは不幸の輪廻と偽りからの脱却ゆえ、己の救済にとどまらず、これまで隠され続けた真の歴史と技術の発現に繋がります。そうなれば、一気に形勢逆転です。つまり、魔の罠である虚構を支える人々が減る程、楽園は戻る。だから、「どうせ人間はいつか死ぬから関係ない」「不安になるから何も知りたくない」「それを知ってどうする?」といった切り口は、不幸の輪廻からの脱却を許さない魔の洗脳です。重要なことを書きます。魔は熟知しています、肉体が「時間制限付きのチャンス」であることを。どう生きたかは「永遠」です。子が変わるなら、親の切り札も変わります。真に手遅れになる前に。軌道を変えるために。然るべき魂を持つ、準備のある器に届くと信じて。
写真・文/おひさまファームズ
ヒデキ
サンフランシスコ生まれ。東京育ち。ホノルル在住。広告代理店、旅行代理店、豪州クィーンズランド州政府、ハワイ州政府農務省、イギリスの経営大学院、ハワイの大手銀行勤務を経て独立。コンサルティング、不動産、米国農務省統計局の調査員の仕事の傍ら農業に従事。著書に「小さな会社でもできる海外取引」「グローバル職人になろう!」「漂流アロハ」などがある。
ユキ
絵と音楽と物語の創作家、宇宙の神秘を読む夢想家。米国の大学を卒業後、神授的な創作の仕事に長く携わる。芸術分野の他、神秘哲学、占星術、数秘術、各種卜術、古代史、神話学、宗教学、図像学、色彩学などに明るく、食や代替療法も探究。タロットチャンネル「雪猫座 Hawaii」をYouTubeにて開始中。