日系3世カナダ人として生まれたヴィーガン・シェフ

私のルーツ

私はカナダ生まれの両親を持つ日系3世で、 トロントで生まれました。5人に1人は外国 生まれと言われ、現在200を超える民族が住 んでいるカナダにおいて、私の生い立ちは他 国出身の先祖を持つ多くのカナダ人の典型と 言えるでしょう。 父方の祖父・石井オトマツは1902年に神 戸からカナダへ移住しました。自然に恵まれ 土地が安いカナダという国に、大きな可能性 を感じたからです。冒険好きで努力家だった オトマツは、ブリティッシュ・コロンビア州 のバンクーバー島からほど近いランデブーと いう島を買うだけのお金をなんとか蓄え、カ ナダへ向かいました。一方祖母のアサは広島 に2人の息子を持つ未亡人で、カナダに行く ことで息子たちにより良い生活が与えられる ことを願い、いつか息子たちを迎えに日本に 戻ることを夢見てカナダへ渡りました。

長い 船旅の中で出逢ったオトマツとアサは、カナダで結婚。私の父・ジョージを含む5人の子 供を育てながら、果樹園のある家を建て、水 産事業を運営していました。 しかし、やがて第二次世界大戦が起こりま す。祖父母たちは政府により島から追い出さ れ、2万人を超える他の日本人と共に収容所 に入れられることになったのです。彼らは家 や漁船などあらゆる所有物を没収されました。 そして島も含め、二度とこれらを見ることは ありませんでした。 収容所に入れられた日系カナダ人に与えら れた選択肢は、日本に帰国するか、ブリティッ シュ・コロンビア州のロッキー山脈以東に移 住するか、二つに一つ。日本に戻ることを選 び、1945年最後の船で家族と日本に向かっ たオトマツでしたが、そこには想像していた 以上に悲惨な戦後の現実が待っていました。 所有していたはずの土地はずいぶん前に売却 され、何もなくなっていたのです。オトマツ は神戸に戻って3年後、貧困の中で亡くなり ました。カナダに戻れと、家族に言い残して ――。アサは広島で息子たちを探し出すこと を願っていましたが、それが実現することは ありませんでした。

父の家族

母と

裏庭にて

小学生の頃


トロント・ハイパークでのピクニック

収容所で結婚しカナダに残った叔母のヘレンは、離散した家族を迎え られるようにトロントの日本料理屋で仕事を 見つけ、必死に働いたそうです。 一方、母方の祖父・井上カイチは、1900 年代初頭に福岡県椎田町からカナダに移住し ました。カイチは元々俳句を詠むのが好きな 教養のある青年でしたが、カナダでは漁業に 転身。同じく福岡県出身の平田コフジと結婚 しました。平田家は海軍一家で、コフジの兄・ ハルオは戦艦大和の海軍大将だったと言いま す。カイチとコフジはブリティッシュ・コロ ンビア州で私の母・スエ子を含む8人の子供 を育てましたが、子供たちがまだ幼い頃に他 界しました。末っ子だった母は、1939年カ ナダの兄弟と引き離されて椎田町に送られま した。そして1950年代初頭、兄・ヨシに福 岡で探し出されてトロントに戻り、父・ジョー ジと結婚して姉と私2人の娘を授かりました。 以上が私の家族の歴史です。どのようにし て私が今の自分になったのかを知る上で、こ れらはとても大切なこと。私は日本人として の自分のルーツに深い感謝と好奇心を抱いて います。そしてそれが冒険、旅、書くこと、 語ることへの情熱に繋がっているのです。


ベティー叔母さん宅でのホームパーティー

シェフになるまで

もう一つ私にとって重要なものは、食への 強い情熱です。 両親や伯母たちは料理が好きなのはさるこ とながら、それ以上に食べ物を皆で分け合う のが好きでした。彼らにとって、料理は私へ の愛情を示す最善の方法であり、大きな喜び でもありました。 振り返ると、幼い頃は日本がどこか遠い存 在だったように思います。母が日本語を話し ていたので大部分は理解できていましたが、 いざ話そうとするとうまく話せませんでした し、日本の文化を母が伝えようとしてくれて もいまいちぴんとこなかったのです。やがて 小学生になり、母と日本を旅して日本料理を 食べたことをきっかけに日本に親しみを抱く ようになりました。母は28年前に他界しま したが、今も日本で母の好物を食べる度にそ ばで見守りながら微笑んでくれているような 気がします。

レストランで働いていた頃の父

ミス・トウキョウに選ばれた 21 歳のとき

母は伝統的な日本料理だけでなく、異国の 食べ物のことも教えてくれました。近所にあ る東欧のデリカテッセンやユダヤ人のベーカ リーから、いろいろな食材を家に持ち帰って くれるのが楽しみだったのを覚えています。 父は日本の米軍基地で調理の仕事をしており、 トロントで母と知り合うまではレストランで 働いていました。私とレストランで食事をす るのが大好きで、外食するときはいつも家を 出るずっと前から支度をしていました。そし てレストランに着いてから食事が終わり店員 にお礼を言って店を出るまで、終始にこやか な表情で過ごしていました。そんな父との外 食を通して、食事とは食べること以上の意味を持つことに気付いたのです。食事は空腹を 満たすものですが、それよりも大切なことは 食事によってお互いの心の結びつきを確認し 合うこと。食べ物は愛情そのものです。 皆で食べ物を分かち合うことの喜びや大切 さを幼い頃から感じて育った私は、いつしか レストランを開店するという夢を抱いていま した。美味しくて美しく、かつ人と環境に優 しい食事を広めたい! そんな想いを胸にカ ナダからアメリカに飛び、ニューヨークにあ る「Natural Gourmet Institute(ナチュラル グルメインスティチュート)」の扉をたたきました。

父、姉、姪と

料理オリンピックの「ゴールドメダルプレート」にて

「ナチュラルグルメインスティチュート」にて友人と

この学校では植物性の食材を使った 料理や、食べ物・健康・環境の結びつきをしっかり学ぶことができるからです。 卒業してカナダに戻ってからしばらく経っ たある時、レストランを一晩貸し切って地元 で有機栽培された旬の食材を使ったヴィーガ ン料理を作りました。空き店舗などを利用し て期間限定でお店を出す、いわゆるポップアッ プという形態です。忙しい毎日の中で人との コミュニケーションがいかに大切かを感じて いたので、テーブルは相席の形をとりました。 結果、このお店は大好評! 多くの方が私の 料理や食生活に対する考えに共感してくれて、 このポップアップ店を定期的に開くようにな りました。 こうした活動がついに「ZenKitchen(ゼキッチン)」の開店につながり、世界的に 有名なガイドブック『ロンリープラネット』 でオンタリオ州最良レストランの一つに選ば れるまでになりました。」

「ゼンキッチン」の風景

レストランのオーナーシェフとして、私が 大切にしていたこと。それは自らお客様のと ころへ行き、食事の感想や気付いたことを聞 いたり、感謝の気持ちを直接伝えることでし た。そしてそれが何よりの喜びでもありまし た。私がキッチンから出てくると初めは驚い ていたお客様もいつしか常連となり、今では 親友と呼ぶべき人もいます。 こうして幼い頃から積み重なってきた食へ の想いが、今の私を作り上げてくれたのです。

キャロライン石井の「カナダを旅するヴィーガンレシピ」は、多様性を受け入れるおおらかなカナダを代表する郷土料理を全てヴィーガンで再現!

はじめてカナダの料理に触れるかた、カナダへの旅に興味がある方にもオススメの旅とレシピの本です。

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