回復の食卓記 第一話「ふき味噌と炊きたてご飯」

この春、はじめてふき味噌を作った。野菜をたびたび送ってくれる知人がいる。春には新聞紙にそっとくるまれた自生の山菜が少量届く。この前、ふきのとうが入っていた。触ると今にもくずれそうにほろほろしたつぼみは、天ぷらにするにはすこし時間が経ちすぎている。ふき味噌がぴったりだと思った。美味しかった。炊きたてご飯がすすむ、すすむ。米の甘さとふきのとうのほろ苦さが互いを引き立て合っている。はまってしまった。

 

それから自然食品店で二度、ぷくりと立派なふきのとうを見かけた。東北の山で自生していたもの。つぼみは生まれたばかりの赤ん坊の握りこぶしのように柔らかいのに、きゅっと固い。ちいさなこぶしの内に、それほど大事に秘めているものはなんだろう。密かにひらいてみたくてたまらなくなるのと、そのままそっとしておきたいような気持ちが半分ずつ。

 

家に帰り、またふき味噌を作る。手のひらに取ると、命の重さがずっしりと伝わる。よごれを取り除き、よく洗い、塩を入れ茹でる。くずれてしまわないようにそっと取り出し、冷水にとる。つぼみはすっかりひらかれて、秘めしものはしずかに放たれた、ような気がした。もうなにもかも世界のものだ。境界がすうっときえていく。途中何度か水を入れ替え、数時間したらよく水気を拭き取り、刻む。熱したフライパンにごま油をひき、刻んだふきのとうを炒める。つぼみが熱にうなされないよう、最初はやや弱火で、少しずつ強く。ジュージュージュー。ふきのとうも自分からこんな音が出るなんて知らなかったろう。さいごは、米味噌をゆっくり混ぜながら炒める。できあがったらガラスの保存容器に移して、冷蔵庫へ。せっかく味噌のなかに春を閉じ込めたけど、あまりに美味しいから夏がくるまでに食べきってしまうだろう。

 

土鍋ご飯が炊けた。すぐにでも食べたい気持ちをおさえて、しばらく蒸らす。十五分くらいして、土鍋をあけ、体いっぱい米の匂いをかぐ。さっくり混ぜて、飯椀に盛る。米のてっぺんからのぼるこまやかな湯気にやさしく蓋をするように、ふき味噌をひとかたまりのせる。

 

* * *

 

物心ついたころからゆるやかに、じわじわと、摂食障害になった。食べすぎる方の。大食いはだらしないと思っていたから周りにばれないよう必死だった。でも、いつも食べ物を口に入れていないと不安だった。小学生の頃、クラスで一番に食べ終わる子どもだった。何かにせき立てられるようにいつも急いで食べていた。手持ち無沙汰なので、満腹なのに毎日おかわりもした。何かにつけ人をからかうのが好きなお調子者の男子も、なぜか大食いに関しては何も言わなかった。むしろ尊敬の目で見られた。ちょっとだけ誇り高い気持ちになった。中学生以降、「そんなに食べてるのになんで細いの」とほめそやされることが快感で、人の二倍も三倍も無理して食べた。自分を価値あるものだと証明するためにひたすらそうしたが満たされなかった。

 

大人になると、一日八食はざらだった。自分をごみ箱のように思っていた。空き時間があれば、いちばん近い食料品店に駆け込む。手当たり次第に惣菜やパンや大福やプリンやスナック菓子を買い、歩きながら噛まずに飲み込んだ。いつも胸が苦しかった。苦しくないと生きている実感が持てなかったから、やめられなかった。苦手な飲み会に行けば、気を紛らわすために目に入るものを片っ端から口に放り込む。手が、口が、まるで操り人形のように勝手に動くのだ。誰かのよごれた皿の食べ残しにまで手が伸びたとき、あきらかに自分はおかしいと思った。それでも、手を引っ込めることはできなかった。食事をするときはほぼひとり。食べることはどうしても埋まらない不足感を今日こそ埋めるための命がけの行為であり、誰かと分かち合うものではあり得なかった。頭の片隅ではうっすら気がついていた。自分の行為の根っこに心の問題があるのだと。でも、心の直し方がわからない。形がないし、触れない。

 

そうこうしているうち、いつのまにか体はぼろぼろになり、不調が絶えず、社会生活がままならなくなった。そして、野菜と米と豆以外、ほとんどすべてが食べられなくなった。好きだったパンもらーめんも肉もチーズも卵もだめになった。食べると体中が猛烈にかゆい。アトピーが全身に出た。最初は急性だったのが慢性化し、それでも服で隠せる場所は隠してやり過ごしたが、最後は顔中に広がって消えなくなり、とうとう降参した。体がついに最後の一手に打って出たのだと思った。私はとっくに体を見捨てていたのに、体のほうは必死に私を守ろうとしていた。

 

* * *

 

米を中心に、野菜や大豆のおかず。梅干し。食べられるものだけをどうにかこうにかして食べていたら、三ヶ月くらいでアトピーのひどいところがほぼ全部消えた。毒が落ちたようにサッパリし、子どもの頃みたいに体が軽い。つられてなのか、心持ちにも少し変化があった。今まですし詰め電車みたいにぱんぱんだった心に、余白ができた感じだった。思いもよらなかった。人を良くすると書いて「食」。食事によって良くなったことで、自分を良くするためにするのが食事なのだと知った。こうして回復期が始まった。

 

「食べるために生きないで、生きるために食べよう。」そんな言葉を以前、どこかで聞いた。いい言葉だと思ったが、振り返ると、生きるために食べていたのはあの頃だって同じだ、とも思った。いや、生きるより生き抜くためにという感じだったけど。あれは自分なりのサバイブだったのだと思う。心を守るための。だからあの頃の自分を否定しない。あれから、そのためのやり方を変えたのだ。

 

* * *

 

今もできる範囲で、回復のための食事をつづけている。うまくいかないときや浮き沈みはある。それでも大きな目でみれば回復の一途をたどっていると、おおらかに思うことにしている。もともとネガティブな力に引きずり回されやすい。心が先か、体が先かわからないが、この運命共同体はどこまでも一緒になって落ちていってしまう。ならば、あがるときも一緒だ。わたしたちは思う以上に、なかなか癒えない傷を抱えたまま、あちこち不具合がでたり、できたことができなくなったり、あるいは病気になったり、ほんとうに色々なことがある。でもそうやって年を重ねることに対して、たとえば劣化とか老化とか退化とか、下降していくイメージの言葉はしっくりこない。目に見える部分はそのようでも、本当にそうだとは思えない。

 

それと反比例するように、その裏側でしずかに芽を出し、伸びていく、豊かになっていく何かがあるように思う。そういう目に見えない木をいくつも育てていくことが、生きていくということなのではないか。そのときのエネルギーを、回復と呼ぶのではないか。目が覚めたら別人になることはないし、経てきたことがなくなるわけでもない。けれど、たぶん人は、そのままで回復することができる。ちいさな芽に水をやり木を育てることができる。そうやって新しい命と古い命が同居する一本の木のように、生きていくことができる。生きていれば無傷ではいられないけど、大人になること、生きていくことは、それでも少しずつ傷が癒えていくプロセスだと信じている。

 

* * *

 

ひんやり冷めたふき味噌が、熱々のご飯の上で気持ちよさそうにしている。好きな食べ物は?と聞かれるとき、この世からなくなったらいちばん困るものを答える。それが、炊きたてご飯。回復の道しるべになってくれた米だ。米が真ん中にある食卓のおかげで、安定した毎日を送れる。多少ゆらいでも、米を食べればまた真ん中に戻れる。そこに絶妙な苦味をふくんだ春の味覚。季節のものには「今」がつまっている。「今」の力が未来をつくる。それじゃあ、いただきます。

 

 

 


写真・文 関根 愛(せきねめぐみ)

俳優、執筆、映像/作品制作を行う傍ら、ライフワークとして食に取り組む。マクロビオティックマイスター/発酵食品マイスター/Vegan検定1級。2021年度veggy公式lifeアンバサダー。鎌倉在住。

Youtube:鎌倉の小さな台所から

Instagram:@megumi___sekine

 

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